7.22.2009

チキンライスの歴史


ハイナニーズチキンライスはシンガポールでは元来、おにぎりのような団子状で売られていた(海南語ではブイ・ジンと言う)そうだ。ただおにぎりのような形 ではなく、ピンポン玉のようにまん丸い。チキンライス売りはボール状のチキンライスを作り置きして町中を焼き芋屋のように売っていた。このようなチキンラ イスボールはご承知の通り、現在ではマラッカの名物となっている。シンガポールでは1950年頃から政府の衛生法が厳しくなった為、チキンライスボールを 歩きながら販売する者は減る事となる。 シンガポールで今のようなチキンライスを有名にしたお店は伝説のスィーキー(瑞記)である。ハイナニーズが多く集う、ラッフルズホテルの裏の路上にそのお 店はあった。今は瑞さんのお店を継ぐ者はいないが、オールドスィーキーやニュースィーキーというレプリカのお店はその近辺にある。 さて、なぜスィーキーはシンガポールハイナニーズチキンライスの元祖と言われているのか?それは1920年の頃、ハイナン島から来たワン・ユィユアンがブ ギス付近にあるハイラムストリート(海南街)でチキンライスボールをバナナリーフに包んで売っていたのが始まりと言われている。終戦後、ワンさんは屋台の お店をコーヒーショップへと移す。1950年—60年、ワンさんはお店の名前を”Communist Chicken”(コミュニストチキン=共産チキン)と名前を変更。それは、当時の中国の暮らしがあまりにも貧しく、新しい共産主義のリーダーシップの 中、より良い暮らしを求めるという願いから由来された名前だ。その後、コミュニストチキン=チキンライスというくらいに知名度があがったのだった。瑞さん はこのワンさんからチキンライスの作り方を学んだと私のリサーチで分かった。現在インターコンチネンタルホテルのあるミドルロードにお店を構え、ライス ボールではなく、現在のピラフのようなライスを世に広めた歴史的人物である(ピラフ方式とは、炊く前に、ライスをそのまま油で炒めて、スープをたして炊く方式の事)。今の30代以上のシンガポリアンはスィーキーの名を良く知っているに違いな い。 しかし、現在マカンスートラで評価の高い天天、五星、南記(これらは、ハイナニーズに広東系の要素を取り入れているといわれている)と違い、当時のチキンライスはもっと素朴な仕上りとなっている。その味を懐か しむ人々は、現在ではイェットコン(逸群)やチンチン(津津)へチキンライスを食べに行くのである。オールドスクールのチキンライスを食べると今の人は物 足りないと思いがちであるが、だれしも、生まれ育った味は格別と感じるに違いない。(参考:シンガポール国立博物館)

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